(旧山門より赤屋根の本堂を望む)
旧山門をくぐり、旧長徳寺境内に入ると、左手に愛染堂がたたずみ、お堂の中には愛染明王像が静かに鎮座する。
日々、本堂へ足を運ぶ参詣者を静かに見守っておられた。
しかし、これは平成7年(1995年)1月17日、早朝5時46分までのことだ。
震源の野島断層からは直線距離で15Km。
当時は、この付近に震度計が設置されていなかったので正確な震度は不明だが、ガスの配給停止などから鑑みると、震度5強から6弱であったと思われる。
当寺もあの阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた。
本堂・愛染堂・庫裏等。
阪神・淡路大震災で半壊した愛染堂
本堂・愛染堂共に倒壊を免れたのだが、愛染堂は北側に大きく傾いた。
このまま放置することは危険であると判断されたため、本堂・愛染堂は共に解体。新しい本堂を建立し、愛染明王像を新本堂内で安置することが計画された。
愛染堂建立覚え書き
愛染堂の内部に「愛染堂建立覚え書き」ある。
これは後生になり記載貼付されたものだが、それによると寛政11年(1799年)3月建立。
約200年もの間、この二見の地で「縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏様として信仰された。
本堂・愛染堂解体諷経前の風景
200余年、この地に静かに佇み、たくさんの人の想いを支え続けた愛染明王堂。
お堂自体にも多くの人の想いが積もる。
諷経の後、総代様方による清め儀た その1
清めの儀式を厳かに。
諷経の後、総代様方による清め儀 その2
総代様、役員様、建築業者様、みんなで心から感謝の清めを行いました。
解体諷経中
解体を前に住職による諷経が静かに行われた。静かに手を合わせ感謝。
愛染堂荘厳撤去後風景
解体後には、200年前の貴重な彫刻類を保存加工しました。
解体前の本堂・愛染堂西側風景
地震の大きな力で、お堂自体が傾き、傾きを起こしたとしても、各部材に次の地震に耐えうる力がなくなってしまっています。
200年の姿をここに記す
現在は、本堂内の永代位牌堂中央に静かに愛染明王像は安置されている。
両側には蓮をモチーフにした2枚のステンドグラスが平安・安堵を祈る。
このステンドグラスは、グラスアーティスト「三浦啓子先生」による作品。
このステンドグラスを通して入ってくる光の力で堂内の白壁に再び、蓮が出現する。
位牌堂は浄土の世界とへと。
入堂された人々は、思わず手を合わせてしまう。
「鎮魂」
静かに静かに・・・
永代位牌堂「新愛染明王堂」へつづく